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岡山地方裁判所 昭和43年(ワ)476号 判決

原告

内田政能

原告

内田淑乃

右両名代理人

山根吉三

被告

森脇鉄次郎

代理人

田中征史

加藤充

福山孔市良

被告

村田憲一

代理人

宮本誉志男

主文

被告村田憲一は、原告両名に対し、各金六七八万五七一三円およびこれに対する昭和四三年一月四日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告村田憲一に対するその余の請求および被告森脇鉄次郎に対する請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告両名と被告村田との間においては、原告両名に生じた費用の二分の一を被告村田の負担とし、その余は各自の負担とし、原告両名と被告森脇との間においては、全部原告両名の連帯負担とする。

本判決中原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

〈前略〉

被告森脇が加害車の運行供用者であるか否かについて判断する。

まず、加害車の所有者が誰であつたかについて検討するに、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

本件加害車は昭和四二年三月ごろ、被告鉄次郎の二男森脇康夫が、通学やレジャー用として、永年にわたつて貯蓄していた自己所有の金員約八一万円を二度に出捐して、日産自動車のセールスマンである鰐部泰郎を通じて購入した。ところが、その所有名義移転の手続上印鑑証明が必要であつたが、康夫は当時大阪工業専門学校に通う一九才の学生で印鑑証明書がとれないところから、鰐部のすすめで所有者を形式上康夫の父である鉄次郎にし、それにともない強制、任意各保険の加入も同人名義にすることになつた。しかし、鉄次郎は以前から康夫が車を買うことに反対しており、右買入も同人にかくしていたため、康夫において鉄次郎の実印を冒用して、印鑑証明書をとり、必要な書類に調印し、鉄次郎名義の自動車の登録ならびに保険契約の成立を見た。そして加害車は専ら康夫が通学等の個人的用途のため運転し、維持管理に要する費用や税金もすべて康夫がアルバイト料その他の手持金から支出していた。昭和四二年五月ごろには、右鉄次郎も、康夫の自動車購入の事実を知るに至つたが、同人は日ごろから康夫が車を購入し運転することには反対していたものの、同人が既に車を購入運転している事実を見ては、敢えてこれに強く反対して車の返還まで強要する気にもならず、康夫が加害車を乗りまわすことを黙認していた。

〈中略〉

そうすると加害車は前記康夫の所有にかかるものであつたというほかはない。〈略〉

しからば、右鉄次郎は、加害車の所有者でなかつたとしてもなお、自賠法三条にいう運行供用者といえるかというに、〈証拠〉を総合すれば、被告鉄次郎は、前示のごとく、加害車の実質的な所有者ではあるが当時一九才の未成年者であつた康夫の親権者であり、同人をして随時同人の経営する青果物商店の販売を手伝わせてアルバイト料を支払つており、前示の如く、昭和四二年五月ごろ同人が加害車を購入して運転乗用しているのを知つてこれを黙認したばかりか、右車両を自宅店舗横に駐車させておくのを容認し、時に自分や家族の乗用に供させることもあつたが、鉄次郎自身運転免許をもたず、もともと康夫の購入に反対していたこともあり、加害車の運転、維持管理はすべて康夫の責任と負担においてするよう指示し、右青果物小売業務にこれを使用するようなことはしなかつたことが認められ、格別反対の証拠はない。これらの事実によれば未だ、被告鉄次郎が本件事故発生当時加害車両の運行を支配していたと認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。従つて同人を目して加害車両の運行供用者とみることはできない。〈以下略〉(五十部一夫 浅田登美子 東修三)

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